2018年03月15日

兄を殺したくなった自分へB

このことを文字にして書くのは初めてのことだが、私は、兄から性的虐待を受けていた。それが、虐待であるから、兄弟の性的な遊びになるか、どう判断されるか分からない。ただ、年齢が5つ離れていて、主導権が兄にあった可能性が高いことを思い出すと、私は虐待だと思う。どのように始まったのかは、私は覚えていない。

これが、世の中的にどのように判断されるかは分からない。しかし、それが「大したことないコト」と判断されるなら、私のアイデンティティは崩壊するだろう。暗い記憶、兄への憎しみの理由。それが否定されること自体も、自分の精神へ多大な影響を与えるというのが、性犯罪の恐ろしい部分なのじゃないか、と想像する。

ある種、武器と言えるかもしれない。私が、もっと若い頃。それこそ10代ぐらいの時は、「兄が幸せの絶頂に至った時に、このことを暴露して、不幸のどん底に叩き落とそう」と思っていた。実際は、思ったほど幸福になっていないし、今や、兄の人生を突き落としたら、関係ないのに迷惑を被る人もいる。

ただ、本当に突き落とせるかどうかも分からない。弟を水攻めにしていた男が障害者の面倒を見てるんですよ!と訴えても、風評被害の「ふ」の字にならないかもしれない。

ただ、私には兄を憎む明確な理由がある。今では、文章にするぐらいに、自分の過去を客観視できるが、同時に思うのは「性的虐待」が、「あった人生」と「なかった人生」というのは、どのような違いがあるのだろうか。

絶対に、なかった方が、少なくともマイナスは少ないと思う。世の中の兄弟が、どのような性的体験をしているかは知らない。ただ、私は、あえて詳細は語らないけど、かなり、キツい記憶もある。それらのことの原因も、父親の暴力があったのだろうか。

末っ子の私は、父親も、兄も選ぶことはできない。あの父親の息子に生まれ、そして、あの兄の弟になったのは、不幸だと思っている。

無職のまま、だらだらしているのは、父親のせいでも、兄のせいでもなく、私が「働きたくない」と思ったからである。実家の恩恵も受けている。土日はパチスロしている。だが、それとは別に父親も、兄も憎んでいる。これは、何かと相殺して、帳消しにできるレベルのことではないと思っている。




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posted by ジャンプ座頭市 at 17:38 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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